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『火の鳥』で気になったので、『輪廻転生』を調べてみる。
『以下、wikipediaより引用、付けたしもしています』
サンサーラ(輪生をインド語でいったもの)とは、生き物が死して後、生前の行為
つまりカルマ(これは業ですね、)の結果、次の多様な生存となって生まれ変わることである。
行為が行われた後、なんらかの結果(para)がもたらされる。
この結果は、行為の終了時に直ちにもたらされる事柄のみでなく、次の行為と
その結果としてもまた現れる。行為は、行われた後に、なんらかの余力を残し、
それが次の生においてもその結果をもたらす。
この結果がもたらされる人生は、前世の行為にあり、行為輪廻の原因とされた。
生き物は、行為の結果を残さない、行為を超越する段階に達しないかぎり、
永遠に生まれ変わり、生まれ変わる次の生は、前の生の行為によって決定される。
(この『行為』とは業、)
『火の鳥』の『鳳凰編』で、この輪廻のお話がでてくるのですが、恐ろしいと感じる反面で
それに憧れる、というか…そうであれば、という気持ちも抱きました。
(これは多分、前世来世・生まれ変わり、と輪廻転生をごっちゃにしてるからであって、
輪廻自体に対する感情じゃないんだろうけど…)
つまり、現世でわたしたちの行ったこと(身口意の三業)は
①現世では因果応報として、善行は善果を…悪行は悪果を引き起こす
②来世では輪廻転生として、自らに作用する
(乞食になるのも、飢餓に喘ぐのも前世の自分の業のせいだー、ということ)
という2つで、あってるのかな?深い、
ガンジス河で沐浴をしたり、遺体を焼いた後の灰を流す理由の1つに、この輪廻転生から
抜け出す・解放されようとする試みだ、と聞いた頃がありますが、真実なのかな?
ちなみに、『深い河』では、ガンジス河は『ミルク色』と描写されていました。濁ってる。
灰を流した河に身体をつける(沐浴)、なんて現代の日本人だったら眉を顰めそうな
話だけどね。(わたし自身も、これを知らなければ不潔に思ってただろうなあ…)
こうして輪廻転生と、ガンジスを考えていくと、やはり人間であれば誰でも
自らの内に、犯した罪への呵責があるような気がします。
大きく捉え過ぎだ、と言われるかもしれないけれど、キリスト教にしろ仏教にしろ
罪をあがないたいという人間の感情が、そこに流れているように思わざるを得ない。
将来的に(これは現世以降をも指す)何らかの形で、自分の身に降り注いでくるという
恐怖、そして恐怖からの救いを求めるその心からガンジスに浸かる。
ガンジス河ってこう考えてみると、もの凄く母性的ですよね。さすが、いわれてるだけある!!
一生の内に1度は見に行ってみたい場所の1つです。できれば沐浴も。
以上、メモ
うおー、まとまらくなった…w文章が前後左右しすぎ…orz
書き留めておきたい事は沢山あるのに、それを上手くまとめられない
自分の文才・能力に、泣きたい気持ちです。
中沢新一さんの「『死者の書』から観る仏教、日本人の関わり」をさっきビデオで
みてきたんですが、これもまた物凄く深い。余談ですが、縄文時代ってお墓が
村の中心にあったそうです。それから奈良時代、都市国家の完成に至るまで
徐々に村の外におしだされていったそう。『お墓が村の真ん中よー』、って今じゃ考えられない!!
宗教って日本人にはマイナスイメージで捉えられる事が多いと思うんですが、
私自身は宗教を学ぶことで日本人の一本質が見えてくる、とも思っています。
また、こういうことを思うたびに、自分が浅はかで知ったかぶりしているだけの人間である、と
知らしめられます。でも、だからこそ学問の意味があり、学問の価値があると思う。
勉強はあんまり好きじゃないですが、学問の基礎になるものだ、と思っているので
もっと深く勉強も学問もしていきたいな^^
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早朝生れたばかりの澄んだ空気が好き、しかしかと指先を凍えさす風が好き。
喧嘩しただとか、悩み事があるだとか…何も考えたくないときには、たいてい勉強する。頭が真っ白になって、ただ目の前のことだけしか考えられなくなるから。だからそれなりに学問は好き。特に最近は宗教思想とか、かな?